ウツ病から回復、そしてもうすぐ離婚、働かず暮らすには

ウツ病からの回復と、認知症の母の介護、50歳離婚、結婚って?人生って?幸せって何? 仕事がないまま、シングルマザーになってしまった。でも働かずしてゆっくりした毎日を維持することはできないのかな?と、模索中。

みんなが出来ている普通ができない。自分さえ変われば、頑張って普通になろう。 そう頑張り続けてたら鬱に真っ逆さまに落ちてしまいました。 今から直面するであろう離婚までの経緯と、どのようにウツになり、またそこから這い上がってこれたのか・・少しづづでも文字に残していければと願いつつ・・・・・綴っています。

返事がもらえない質問

「壮絶なウツに溺れて息も絶え絶えだった毎日の中
伴侶としてどうにか私を助けてくれることはできなかったんですか?」

「なぜ、離婚を回避するために何かをすることは全くなかったのですか?」

一度も返事を受け取ることなく
この2つの質問は
今も尚、
私の心に深く突き刺さったままです

結婚ってこんなにあっけないもので
私は一体彼にとってなんだったのか・・・?

思っても仕方ないとはわかっていても
ついつい思いを巡らせてしまいます

でも、もっともっと遡って思い起こせば

私たちは『家族』というチームの中
お互いに期待された役割を
責任と自覚をもって取り組んできたことは
間違いはありません

彼は子供にとってよき父です
会社一筋、贅沢もせず
お酒も飲まず
食卓に出したものは全部残さず食べてくれる
絵に描いたような理想的は夫です

でも、
とっても残念なことに
彼と私は一度も『友達』ではなかったのかもしれません
心を割って話したり、
泣いたり
笑ったり
そんなことが
全く、なかったのかもしれません

一生を共にするという意味や覚悟といったものが
わかっていなかったのかもしれません

そして、それを可能にするための愛情
お互いに対して十分になかったのかもしれません

最も大切なことが
そもそもなかったのかもしれません

離婚の原因を聞かれると
正直いつも答えに窮してしまいます
どれも離婚に値する十分な理由にも思えるし
同時に
どれもそんなに深刻なことではないようにも
思えます
だからこの全ての経緯が
私の『ワガママ』なのではないかと落ち込むことも多いのです。

でも、ウツを味わった後
やっと最近たどり着いた心境として

何がどうであれ

ピンチに助けてくれない人はダメ

誰が何をどう言おうとも
これで十分・・・

そう思えるようになりました